都城市民会館に憶う 

 

   

都城市総合文化ホール(以降:文化ホール)は2002年(H14年)の「総合文化ホール整備
基本計画」に基づき2006年(H18年)に完成した。これにより都城市民会館(以降:市民
会館)は不要の建物となり、2019年(H31年)に解体の運びとなった。これは、都城市民
の民意である。
経緯を振り返ると、2004年(H16年)4月に文化ホールが着工し、その年の6月に「市民
会館管理運営対策プロジェクトチーム」が結成され、2005年(H17年)3月に『都城市民
会館の今後の方策についての中間報告書』 (以降:中間報告書)を提出している。その
中で「市民検討会議」の設置が提案されており 「市民の意見を幅広く聴取し、また議論
を重ねる事によって市民のニーズを的確に把握する必要がある」と報告されている。
これを受けて、2005年(H17年)7月~8月にかけて『都城市民会館存続問題市民懇話
会』(以降:懇話会)が設置された。この会には市民の代表として、公民館・体育協会・建
築士会・文化協会・文化財調査委員会・社教連等から各1名参加しており、私は建築士
会都城支部の代表として出席し、計5回の懇話会が開催された。
私的には、2003年(H15年)5月に実施されたアンケート (市は文化ホール開館後の市
民会館の利用方法について市民及び、同年7月市職員へアンケートを行ない、調査結果
は両方共「現状もしくは大規模な改修をして存続」 が「解体」 を上回っている。(中間報告
書による))の結果も踏まえて考えると「市民懇話会の総合的な意見としては、市民会館は
文化ホールとしてではなく、別の用途で存続する。又、外観は文化財的な価値が高いた
め、今のまま残す事が重要である。」との考えでまとまった事は想定内と思っていた。
だが、この懇話会の結論は集約されず「市事務局よりこの懇話会の意見を市民会館管理
運営対策プロジェクトチームに反映させ、2005年(H17年)12月中に市長へ結論を答申す
る」という事で終了した。2005年(H17年)12月に「市民会館管理運営対策プロジェクトチ
ームから最終報告書が市長へ提出された。その中で懇話会の内容は意見として記載され
ているだけで、集約された結論としてはなんらコメントされていなかった。結果、「市民会館
管理運営対策プロジェクトチーム」は解体の結論をもって市長に報告している。2006年(H
18
年)10月文化ホールがオープンした。
このような状況の中で、都城市民会館を守る会などの市民団体が保存運動、請願書の提出、
「市民会館40周年記念イベント」等を行なうが、市民運動としての広がりはいまひとつだった。
2007(19年)7月にはDOKOMOMO(近代建築に関する建築、敷地、環境の資料化
と保存のための国際組織)JAPAN2006年度(18年)建築十選に選ばれ、選定プレート(
写真)が送られている。しかしながら、2007年(H19年)9月解体予算を市議会で可決し、解
体の運びとなった。ところが同年10月南九州学園が都城市に移転するにあたり市民会館の
無償貸与を申し出て20年間使用する事となり、市民会館の解体は一時的に先送りされた形
となった。
私も、保存の会、DOKO MOMOもそうであったように、一応ひと安心という事で、その後の保
存活動が休止していたかと思う。
それから10年後の2017(29)12月突然、
南九州学園から市民会館の市への返還申し
入れがあった。もともと解体の議決は10年前
に可決されていたが、市としてはこれを真摯
に受けとめ、
日本建築学会等への市民会館の
再生活用の相談、それに伴う民間企業等への提
案書の募集を行ない、2018年(H30年)7月、再
度市民アンケートを実施した。結果は、再生活用
民間企業の提案はなく、アンケートも「解体」が80
%を超えるものだった。2019年度(H31年)3月議
会において市民会館の解体予算が再度可決され、
5月に一般競争入札で執行、2020年(R2年)3月までに解体されることになった。

 

今思う事は、市民の思いのある建物がまた一つ無くなるという事である。学生時代帰省の際に
目にする市民会館はふるさと都城に帰ってきたと思える唯一の象徴でもあった。又、姉も結婚
式を挙げており思い出は深い。
昔、須田記念館が解体された歴史とよく似ている。都城市公会堂(のちに須田記念館となる)が
1927(2年)11月に建設され1966(41年)4月に市民会館が開館。1983年(S58年)須田
記念館が解体され、同じ敷地に1984年(S59年)に総合社会福祉センターが竣工している。詳し
いいきさつは不明であるが、公会堂も築56年と古くなり、市民会館が開館したことで公会堂の存
続の意味が無くなったのだろうと推察される。(須田記念会館の保存の請願も提出されてはいる
が)歴史は繰り返される。古いものがあたらしいものにとって変わっていくスクラップアンドビル
が繰り返されるのはなぜだろうか?建築に携わるものとして、今回の解体は残念でならない。   

振り返ってみると、2007年に南九州学園が20
貸与を申し入れした時点で思考が止まっている。
2018
(30) の再アンケートの結果は、ほった
らかしで何もしなかった事への民意であろう。仮にDOKOMOMOJAPANの建築十選に選ばれた時点
(2006年(H18年))で、その価値の啓発に継続的に
活動していれば、もし再生活用民間企業の募集を長
期間募っていたら、負の遺産を価値ある遺産に変え
る方策を考え続けていれば、また違う展開が開けた
のではないかと思う。


今後も建築に携わっていくかぎり、このような事案は発生するであろう。今回の事は建築の専門家、建築士として、どう関わっていくべきかの良い経験となったのではないか。
宮崎県建築士会は、2014年(H26年)よりヘリテージ・マネージャー委員会を発足し、歴史的建造物の発掘や教育養成を行なっており、多数のヘリテージマネージャーが誕生している。
2019(1)には歴史的建造物の保存活用を推進していく「みやざき歴史的建造物評議会」が設置された。これからは、これらの組織と情報を共有しながら、一時的な保存活動ではなく、継続的に活動していくことが必要であると考えるところである。
建築士は建物を新しく創るだけでなく、現存する建物の保存やリユース、リノベーション等も知識として蓄えながらクライアントの要望に応えていかなければならないと思う。これは限りある資源の活用や省エネルギーの観点からも当然の事ではないだろうか。
                                  (ヘリテージ:受け継がれる歴史的文化遺産・伝統)
                                    

                     2019.11.11  解体状況

                                             建築士会都城支部  桑山 博文

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